Wicked

深夜からEvernoteを使い始めて、明け方にコツを掴み、今はハマリかけです。あぁ、便利だなぁ。クラウドコンピューティング。便利だなぁ。しかし、Evernoteはソーシャル的なものではなく、基本、自分だけのために情報を蓄積するもの。いわば、オンライン上の「ほぼ日手帳」。手帳にばかりアウトプットして、blogを書くことができなくなる病からようやく抜けだしたところだというのに、また、こんな巣ごもり的なガジェットに手を出して……。再びblogを書けなくなったらどうしよう、とプルプルしています。わたしが外部に向けて文章を書くということは、そして、それをあなたが読むということは、決して「あたりまえ」のことではないのだということを、あなたにはどうか、理解っていて欲しい。

劇団四季「Wicked」

劇団四季のミュージカル「Wicked」を見てきました。
「Wicked」は、「オズの魔法使い」の前日譚にあたる物語で、「オズの魔法使い」に登場する「善い魔女」と「悪い魔女」が、本当は一体何者なのか? について描かれています。

生まれつき緑色の肌と魔法の力を持つ少女・エルファバは、その特異さゆえに、周囲から不気味がられて育ちます。虐げられ、いじめられ、すっかり卑屈さとセルフイメージの低さを身につけてしまったエルファバ。しかし、全寮制のシズ大学に進学したとき、先生から魔法の能力を見出され、「あなたは天才だわ!」と賛美され、魔法の特待生となります。エルファバの暗かった人生に、ようやく光が見えた瞬間でした。

一方、同じ大学に進学してきた少女・グリンダは、お化粧やファッションが大好きなお嬢さま。ルックスが華やかで可愛いので、クラスの人気者ですが、実は、致命的に、おバカ。魔法の書も読めないし、もちろん魔法も使えない。何でも自分が中心でないと気が済まないし、気に入らない子にはバレないように嫌がらせをする。典型的な「オンナノコ」だったのです。

対象的な二人は、ひょんなことからルームメイトになります。が、やっぱりどうにも相入れず、嫌いで嫌いでしょーがない。しかし、徐々にお互いの内面を理解しはじめ、絶えず喧嘩をしながらも、無二の友人として友情を育んでいきます。

ある日、エルファバは、その高い魔力を買われて、この国の支配者にして強大な魔力を持つと言われる「オズの魔法使い」から、都への招待状を送られます。エルファバは、グリンダを伴って、都・エメラルドシティを訪ますが、そこで、オズの国に降りかかっている災いと、その黒幕がオズの魔法使いその人であることを知ってしまいます。陰謀の正体に驚き怒ったエルファバは、オズの魔法使いと戦うことを決意。「魔法の書」を奪って、空高く飛び立ってしまいます。

正体を知られてしまったオズの魔法使いは、エルファバを「悪い魔女」に仕立て上げ、国じゅうに触れて回ります。偽の情報を与えられ、煽られた民衆は怒り狂い、「悪い魔女を殺せ!」と口々に叫んで魔女狩りを始めます。そして、同じく秘密を知ってしまったグリンダは、オズの国を救う「善い魔女」に仕立てあげられ、祭り上げられてゆきます。

逃れられない時代の波に飲み込まれてしまった二人の少女。彼女らの運命は、そして友情は、一体どうなってしまうのか……!?

http://www.youtube.com/watch?v=u9lUW5i6Y6M&feature=player_embedded

泣きました。全編を通して、エルファバがあまりにも不遇で、切なくて、それでも自分の信じた道を貫こうとするその姿に、自分の中のいろんなものを投影せざるを得ない。あぁ、わたし、来世にミュージカルスターとして生まれたら、エルファバを演じたい……。

そして、グリンダのおバカっぷりも、ちょっと凄まじかったです。「オズの魔法使い」では、グリンダは、清純を絵に書いたような存在として描かれていたはずなのに。その実態は、魔法も使えない、ファッションと彼氏の話しかしない、おバカさん……でも、「人から愛される才能」がずば抜けている……という設定を、見事に演じきっちゃう役者さんがすごかった。グリンダは、「ただのおバカさん」から出発しているのもあって、物語を通しての成長ぶりが印象的でした。状況に流されるままだった彼女が、エルファバを本当の意味で失ってはじめて、自分の意思で「善い魔女」として生きる道を選択したラストシーンは、胸を打ちました。

ソウルメイト、そして「トラウマになりたい」。

ソウルメイト、という言葉があります。
この言葉の意味は、流派によっていろんな捉え方があるのだけれども、単に「物凄く気が合う人」とか、「他人とは思えないくらい価値観が似ている人」といった肯定的な意味だけではなく、「自分では直視できないくらい、自分自身を映す合わせ鏡のような存在」という意味を持つこともあるそうです。

グリンダと、エルファバが、まさに、この後者の意味でのソウルメイトなのだろうな……と感じました。

相手が、自分とは違いすぎる。
そう自覚したとき、初めて、人は「他人とは違う自分自身」を知ることになります。

「相手はAだ。わたしはそこに違和感がある。わたしはAじゃない、Bだ。」

B同士の人間が対峙するとき、Bであることは「当たり前」なので、自分がBであることには気づけない。Bではない他者に出会って初めて、「Aな人もいるんだ! そして、わたしは、Bなんだ!」と気づくことができます。
これが、「自分自身を知る」とうこと。
そして、自分がBであることを思い知らせてくれるくらい、自分とは違いすぎる他者。それが、「自分自身を映す合わせ鏡のような存在」ということです。

通常、「自分とは違いすぎる他者」は、違いすぎるが故に出会う機会すらなかったりするのだけれども、何故か深く関わってしまう相手というのが、誰の人生にも存在します。それが、つまり、「ソウルメイト」なのだろうと思います。

こういう意味のソウルメイトは、一般的に、「一時的に物凄く深く仲良くなるが、ずっと一緒にはいられない」といわれます。
それは、やはり、「直視できないほどに自分自身というものを思い知らされる相手」だから。自分自身がひた隠しにして、見ないふりをしてきたことでさえ、見せられてしまう。
そんな相手と、ずっと一緒にいることはできませんよね。
だって、苦しすぎるもの。

ソウルメイトは、己の半身のように愛しく、同時に殴り殺したいくらい憎たらしい。
許さない、死ねばいい、お前なんか最低だ、アホボケクソボケ! と、暴言の限りを尽くしても足りない。
罵って、罵って、消えることのない憎しみを胸に飼い慣らしながら一生を生きる。

それが、もしかしたら、先日書いた「少女ふたり」の、「トラウマになりたい」ということなのかもしれません。